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Flower of a word

フリーターのち専門学生のちぐうたら社会人の受難

2024'05.01.Wed
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2013'02.07.Thu
2月2日、国学院大学の柴田先生が来てくれた時のことを書いてこうと思います。

前に取り急ぎアップしたのだけど、きちんと書こう思い、再度アップです。


前の記事に書いた通り、柴田先生は2月2日土曜日の夕方5時ごろ、奥様のななえ先生と二人で、妹ちゃんの入院している病院に来てくれたのでした。


その日妹ちゃんは、ちょうどリハビリも終わり、落ち着いて仰向けで静かにしている時でした。

5時になり、柴田先生とななえ先生とは病室に入って来られて、まず妹ちゃんに挨拶をしました。
これからこういうことをしますよ、と柴田先生が話している間、妹ちゃんは目をぐるぐるしていました。

私は妹ちゃんが首をうごかしてしまうので、「妹ちゃん、柴田先生がね…」そう言うとすかさず「あ、きちんと聴いて頂けたので、大丈夫ですよ」

おお〜。。面食らう私。



はじめ、タブレット端末と入力する機器を使っての読み取りから始まりました。
ひとまず気持ちを聴くためにこの方法を使ったそうです。
あかさたな…と、順番に読み取っていき、画面上に文章が綴られていきました。

両親と私が同席しましたが、画面を見ながらみんなで、思わず息をのみました。

その時の文章です。柴田先生が後で送ってくれました。

ハコベのいもうとなみだいっぱいなきました。りかいできていてもなにもつたえられなかったのでこまっていました。べつにわたしはなにもわるいこともできないしよのなかにめいわくをかけるわけでもないのにびんかんなひとがすくなくてわたしをなにもわからないにんげんとしてしかみてくれませんがじんせいをあきらめたわけではないのでがんばりたいです。

※ハコベの〜は実際は本名です
ここまで打ったところで、先生は、これだけ動けば、筆談が出来ますよ、と言って、奥様のななえ先生と代わって筆談を試してくれました。筆談は、ななえ先生の担当のようです。

右手で、最初ペンを持たせて、○×から。
一人では安定しなくても、誰かが支えてガイドしてあげれば、必ず書けるそうです。
ただやはりガイドしているので、必ずしも本人が書いていると証明は出来ないのですが。。
練習をして一人で書けるようになるのが目標です。

ペンと紙ではちょっと安定が悪く、手のひらに書いて読み取っていくことになりました。
ななえ先生の手に、○×や数字を書いていきました。

そして、妹ちゃんは気持ちを書き始めました。「いいやりかたがあってよかったです。いろいろ言いたいことがあります、おねえちゃんにやってみてもらえますか」
私に代わって、たぶん、「ハコベ」(じっさいは本名)と書いてくれました。
コツが分かるまでちょっと難しく、私も読み取ろうと必死でした。

○×や数字を書いてもらっていて、少し質問もしてみました。
いつからわかってたの?と聞いたら、「ずっと」と書きました。
あとで先生が詳しく聞いてくれましたが、アメリカにいた頃から理解は出来ていたそうです。
ただ、その頃の記憶はうまく思い出せないそうです。
これは記憶の引き出しに今のところ問題があるのでは、とのことでした。


質問が悪いのですが、私はどんな感じだったの?と聞いてしまいました。あ、これじゃ答えにくいと思い、言い直そうとしたところ、ふいに、妹ちゃんが漢字で「三一一」と書いた気がしたんです。
ただ私は何のことかわからなくて、「311?」と聞き返したんです。
すると、柴田先生が「3.11のことじゃないかな」といったんです。
ななえ先生が私と代わると、妹ちゃんは「大災害」と書いたそうです。

病気になってからは、まるで3.11の大災害のような経験だった、ということでした。

最初の気持ちを読み取ったあたりで、涙を見せていたんですが、いよいよ本格的に泣き始めてしまい、筆談がうまく行かなくなってしまいました。
柴田先生が代わって、体に手をあてて、気持ちを読み取り始めてくれました。

・先生はなぜ自分に言葉があるのが分かるのか
・自分は障害者と同じなのか
・なぜ先生は自分を一人の女性として見てくれるのか

この辺りで、「くやしい」という感情が溢れ出て来てしまったそうで、体をコントロールできなくなってしまい、みんなで押さえていました。
でも先生は、押さえながらも言葉を読み取っていきました。

・一生言葉を分かってもらえると思っていなかったこと
・希望を持てると思えなくなって来ていたこと
・いろんなことを考えていたこと
・小さい感情で表情を作れないのは何故なのか
・先生はこういう人をたくさん知っているのか

妹ちゃんは先生にたくさん質問をぶつけていました。
先生は丁寧に答えてくれました。


そして妹ちゃんは徐々に落ち着いていって、
私たちも妹ちゃんに質問をしたりしました。

アメリカにいた時から分かっていたのか?
・アメリカにいた時も、理解はしていたが、あまり覚えていないこと、たまに思い出しては不思議な気持ちになること
家族が理解してくれないことで、悔しい思いをしたか?
・家族は愛情を持って接してくれているから、そういう気持ちになったことはない、出来ない自分が悔しい。また看護師さんたちにまるで動物のように扱われることもあることが悔しい(分かってくれようとする人もいる)
ボーイフレンドのことは覚えているか?
・ボーイフレンドに申し訳ないと思っている、手紙を書きたい。心配してくれているだろうから
(心配してくれています)

他もいろいろと質問したり話したりして、先生も丁寧に一つ一つ答えてくれて、徐々に前向きの話になっていきました。

・姉と筆談が出来れば、楽しく笑えるような話がしたいこと
・詩や物語りを書きたいこと(ずっと一人で考え事をしていたから、表現がたくさん生まれたそうです)



先生は、希望を持とうとか、お説教をすることなく、妹ちゃんといろんなことを話してくれました。
妹ちゃんは高校時代から心理学が好きだったのですが、先生はロジャースみたいとか、フロイトやユングがどうとかの話もしてました。。先生も付き合ってくれてました。。いやいや。。ありがとうございます。



ちなみに筆談や気持ちの読み取りは、一般的にもお母さんとはうまく行くことが少ないそうです。先生が言うには、お母さんは、少し出来ないと謝ってしまうからだそうです。お子さんたちは気負ってしまって、お母さんに申し訳なくて、なかなかうまく行かないのだそうです。
なので、妹ちゃんは、まず姉の私と筆談がしたいと言ったのだそうです。



午後5時からおよそ三時間、先生は座りもせずに妹ちゃんの話を丁寧に聴いてくれました。
私がさすがに遅い時間だろうと思い、お礼に買っておいたお菓子と、現地の知り合いに送ってもらっているカリフォルニアのアーモンドを渡して、病院を後にされました。





先生は今では週三回は、どなたかの所に出向いているそうです。
ただ先生のやり方では誰も信じてくれないそうで、先生は、基本的に筆談をすすめているそうです。
家族とうまく筆談できて、一人でペンで書けるようになれば、疑いようがないからです。

そして先生が出向いた方々は、皆さん思いを伝えられるようになってから、症状にも劇的な変化があったそうです。「希望になるかはわからないけど」
あくまで押し付けがましくなく、事実を教えて下さいました。


このような事実を伝えるために、かっこちゃんや柴田先生の活動があります。
微々たる力ですが、このようなブログでも役に立てば、と思い、アップさせてもらいました。

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タブレットを使って読み取っているところ
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プロフィール
HN:
ハコベ スズナ
年齢:
36
HP:
性別:
女性
誕生日:
1987/07/21
職業:
DTPオペレーター
趣味:
歌・絵
自己紹介:
健康オタク。でもややヘタレ。

基本一人でいるのが好きだが、みんなで盛り上がるのは好きだ。

高校では
漫研、美術部、フォークソング部、ゴスペル部に所属。青春時代。

某大学に合格するも、1年半で自主退学。

1年間のフリーターのち、
好きだった絵の専門学校に行ってみた。
第二の青春を謳歌。

印刷会社で2年デザインの仕事をする。


社会人2年目、大好きな妹がアメリカで脳炎にかかる。
1年間のアメリカでの入院生活、仕事を辞めて自分も渡米、2012年、一緒に帰国。

現在、日本で療養中。介護生活の始まり。

そして2015年春から、看護学生。
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